先日学生映画祭で作った映画を見た。
小粒だけどちゃんと作ってあった。
技術は完璧。
しかしなんか残るものが薄い。
わかりづらい。
学生映画は大体こんな感じ。
そろそろ進路を決める時期ということで
最近DVDが終わりつつある危機感を感じていて、しがみつく人が増えている。
映画にも疑問を感じているので、クリエイター志望の人の一助になれば。
まず将来性のないものに思い込みだけでしがみつくと苦労します。
映画は一体何のために作るものか。
映画の何を見せれば一回約2000円也のお金を払ってもらえるのか。
それは感情の”ずしん”です。
これがおおむね一回あれば平均。二回あれば売れる。
ローグワンだとSWの昔のメカが今の映像で動く、PS4のゲームのスーパーハイクオリティ版
これの連続でぞわざわさせて、それで最後にガツン、と来る。
これで完璧。お金払った甲斐があった。
この感情のずしんをクリエイトする。
売れた映画はみんなこれがある。
というかこの”ずしん”のために全部作られている。
TVはぞわぞわ。ずしんは最終回にあればいい。
最後のずしんまでいかに盛り上げていくか、っていうこと。
これがダメだと途中打ち切り。
コミックは激流みたいなドキドキの連続を伝える
多くけったいな”人”爆弾野郎、キチガイ、壊れたやつ、を描く。
AV監督はプロデューサーから流れてきた企画と女を撮る<急に甘くなったぞ
うちはAVといっても全部ケツかっちんの予算で何が何でも売らねばならないという
失敗が許されない中でやっている
この二十年毎回崖っぷち。
責任が通常の監督の100倍はあるから、異質ではあります。
ただ私は映画とかの監督はできない。
だれか脚本書いてくれて、とかならできるかもしれないけど、
君の名は、とかの感情の高まりや、三谷幸喜みたいな人間関係の面白さを作ることはできない。
ゴジラみたいな特撮も作れない。モンスターでグッとくるものがわからない。
シンゴジラも同じ悩みがあったみたいだけど危機シュミレーションで克服した。
今の映画って、感情に残りづらいから難しい。
ローグワンみたいに思い切った処理しないと。
なんで音楽もコミックも映画も、もうすべてが出切ってしまって
飽きられやすくなってる。
これって今後の将来性がどうも見えてこない。
AVも最初は目玉にザーメンかけただけで大騒ぎになった。
今は”へーそうなんだ”と言われるからそれだけでは難しい。
映画は2Hと長いし、だんだん映画でなければならない理由が減っている。
飛行機の暇つぶしでも1h物のほうが計算楽だし。
ウォーキングデッドをまとめてみたほうがいい。
あれは危機シュミレーションとキャラクターものが絶妙に混ざっている。
ああいうのは無理。なぜかはあとで述べる。
私はそもそも漫画を描いていたので、担当がついてデビューしたりしているわけですが
売れませんでした。
エロ漫画は多少ファンが付きましたが、これも売れませんでした。
AVはましなくらいですか。
漫画は絵柄だけで売っていた時期が合って、途中でやめたんですが
筋で見せるという練習をしてこなかったのが原因です。
あと、私は子供のころから作話をしていますが、どうしても勢いや、
即興で話を作ってしまうことが多い。
あとでつじつまが合わなくなって、おかしなことになる。
または後で見返して直すところ、改善点がおびただしく出てくる。
手直しの連続になる。
今書いているコンテももう5年近くになりますが、つじつまがおかしくて
設定を根底から変更した。
変更したそばからいいアイデアが出てきてまた変わる。
それが変わったらまた展開が変わる。
そうこうしているうちにキャラクターをもっと変えてしまえ、となる。
面白いほうに持っていくと、どんどん手直しが大きくなる。
画も合わせて、週刊連載なんて土台むりなペースが一つ。
もう一つは、キャラクター。
このキャラクターというのが私にはいまだにわからない。
例えば少年コミック誌のキャラクターを作れ、と言われても、何が何だか
皆目見当がつかない。
爆弾野郎とか言いますけど、じゃあどんなやつならみんなドキドキするのか
わからない。
これも昔からで、何度も勉強したり、大映映画や小池和夫から白戸三平から古典をあさったり、
徹底して勉強したがやっぱりわからない。
一番しっくりいったのがつげ義春のねじ式(これを読んでから新人賞に毎回入賞するようになった)
というくらいだから、キャラクターの理解そのものが
どうも根底から存在しないか、ゆがんでいる。
私がほかのAV見て研究とかしないのは、この経験があるからです。
わからないものは幾ら研究しても本質はわからない。
そのまま作り始めると、自己矛盾が生じておかしくなる。
上っ面だけのパターン作品になるのはそういうわけです。
要するに、私には一般娯楽におけるキャラクターを作る才能はないのです。
これは衝撃でした。いくら勉強しても努力しても無駄だとわかったわけで。
これ大事ですよ。
才能のない奴がいくら努力しても、創作業界はダメなんですよ。
しかしここまで頑張ってきたのだから、何かあるはずだと。
そして考えたら、エロ漫画に行き着いたわけ。
ここでキャラクター作りに向いている人の定義を書きます。
ある一つのキャラクターのことを考え出すと、妄想が止まらなくなり
頭の中がそのキャラクターの活躍パターンで埋め尽くされ、
何時間でも何日でも考えていられること。
そのキャラクターの好きな食べ物から寝返りを打つ回数まで事細かにわかっている。
そういうタイプがキャラクターづくりに向いています。
これは主人公だけでなく、脇役も同じです。
中でも主人公に対する妄想は止めようとしても止まらないぐらいいつも暴走している。
売れる作家はこういう要素を持っています。
さて私の場合はどうかというと、何百回も担当にやりこめられたうち
あなたのキャラクターは突き放される。救いがない。どうしてそうなるのか。
同意できない。面白くない。これはなんだ。
ectetcetcと4,5時間も批判にさらされるでしょうか。
これが何年も何年も続きます。
いわゆる”打ち合わせ”とか”鍛える”と言われるパワハラです。
おおむね新人作家はこれで精神病になります。
”白いワニ”って実はこれです。
私は精神病にはなりませんでしたが、作品になにを言われてもショックを受けなくなりました。
なんでミルキーの作品をいくらクソミソに批判されても毫も感じません。
わかりました、直します。というくらいです。
ダイヤモンドメンタルです。
AV監督ってそういう意味では板ガラスメンタルおおいかなとは感じます。
それはおいといて
困ったのはどうしてもキャラクターを井戸の底に沈めてしまうような展開にしてしまう。
何回やっても治らないので、どうも主人公を追い詰めてしまうタイプのようだ。
これでは売れないかと思ったら、エロ漫画の少女主人公ならはまった。
幾ら追い詰めようが虐待しようが、救いがなかろうが、エロ漫画の女性主人公なら
問題がない。
むしろ救いのないほうがいい。
そういうわけでエロ漫画に転向するわけです。
ただ男優で忙しくて、破たんしまくりの話の上に殴り書きの画だったから
これも売れなかった。
このころになるとキャラクターを追い込むのが楽しくて、絵はそっちのけになってくる。
画なんかどーでもいーや、となってきたころです。
今は絵については、最低限何をやっているか、どんな表情かわかればいいや
という考え方です。
だから特にうまくなろうとか思っていません。
練習もしていません。
もう時代に合わないかもしれない。
しかし書きたいのは堕ちていくキャラクタなので、その前後のギャップをいかに
わかりやすく作りこむかがたのしい。
何度も考え直すが、飽きない。
少年誌で45P書き直し、とかやるとひどくつらい。
しかしエロ漫画だとそういうことがない。
しかし今度は第一の欠点、勢いで話を作る、が出てしまう。
だから話が完成するまで時間がかかる。
コミックはやはり向いていない。
AVはどうか。
AVは撮影について非常に制約が多い。
基本のキャラクターや筋立てを作ったら、あとはお任せしたほうがいい、
というか本物を使う以上、お任せしていかないと発射すら厳しい。
堕ちていくギャップにしても、メイクさんや女優さんの性格や経験で助けてもらえる。
まったくあたらしいキャラクターを作る必要はないわけです。
AVはどちらかというと芝居よりイメージビデオに近い。
女優といっても”ある人格”を一から作りこんで演じるわけではないから。
そのひとのあるがままから派生したタレント性を汚す、落す
これでいい。
そうなると私にもなんとか光明が見えてくる。
ミルキーはそういう土台の上に成り立っています。
例えば松本さんのように、エロ漫画を克明に再現しようとか、
シャトルさんのように人格も取っ払ってただかけるだけに特化する
とかそういう方向でなく、その中間に位置します。
自分でキャラクターを作ることもできるので、ある程度まで
説明すればいい、というか説明もしない。
撮っているうちにできてくるキャラクターに合わせて自然とできていくのがうちのビデオで
だからある程度撮り進まないとどうなるのかわからない。
朝メイクが上がって衣装合わせが終わったらおおむね決まる。
そんなもんです。
事前にあれこれ考えても無駄ななかでやらざるを得ないから、
私の欠点が隠れてしまうんですね。
クリエイターというのは、こんなもんじゃないかと思います。
誰かほかの作品を見たり、まねたりしても、究極自分のものになるかどうかは
わからない。かえって悪くなったりもする。
その人がすでに個性で食えていたりすると、野球選手が下手なベテランコーチについて
フォーム改造に失敗するのと同じように、その人の個性がつぶれることのほうが多い。
いっそ全部やめて風俗周りでもしたほうが参考になることが多い。
今も映画をたくさん見ますが、キャラクタよりも撮影方法ばかり見ています。
キャラクタとしては、映画の2hの構成はもう古いんじゃないかと。
2hおしっこ我慢するのはもうつらい。
30分前後でシーケンスが一通り終わってくれるといい。
多くのお客さんがちょっと親しくなると「本物ですか?」と聞いてきて
もう答えもしたくありませんが、うちは基本ノーカットで行くので
男優の発射の勢いで時間が決まってしまう。
もっとカットして20分ぐらいにしたいんだけど、疑われるのが嫌だから
結局長くなる。
2hある作品が多いですが、とにかく短くしたい。
今はだらだら発射がなければ、90分ぐらいです。1シーケンスだと30分以内。
ネット時代は短いほうがいい。
4コマじゃない、2コマ、3コマでいいんです。
1コマだとわかりづらいか、2コマ落ちくらいがこれからの作話でしょう。
ワンパインターはノーカット撮影の中に起承転結の山場を仕込まないと退屈なので
本当に困る。
あまりやりたくない。キツイ。
こんな具合に状況がうちのキャラクターを決めていく。
こうなってしまうと、よそのものを見るだけ無駄なんです。
どこか変えると、全部変わる。
今はそんなことも織り込み済みで、お客さんが見て、”ガツン”と来る絵が
一つでも撮れるよう、いや一つだけでも撮るよう集中します。
今はどんな小細工も出尽くして、ましてAVは、お客さんにとって
残るものがないと、時間の無駄になってしまう。
冒頭の、ちゃんと作ってはあるけど残るものが薄い
これじゃお金払ってもらえないのです。
爪痕というか、ほかにないぐっとくるものを限られた予算、キャスト、時間で残せるか否か。
FBR19はそれがうまくいってくれた例でしょうか。
もしクリエイターや監督になりたい、という人がいたら、
ほんとにそのキャラクターを四六時中考えていられるか、それって面白いか、チェックしてみるといいです。
どんなに絵がうまくても、最後まで見てくれなければ意味がない。
素人はみんな絵をこぎれいに書いて、そこで満足してしまう。
それでは食っていけません。
あと、この方法論はタレントのいわゆる”キャラ=販売上の人格”とは全く違います。
タレントは売るために架空の人格を作り、それに合わせて自分を装います。
なので半分は本当だけど、半分は嘘です。
俳優はまた違います。彼らはあらゆる人格になるために性格の引き出しを増やしています。
でも自分を代表するなにかの人格があるわけではありません。
どちらも作家となるためのキャラクターを作っているわけではありません。
おおむね間違っているか、なんかの拍子に受けたキャラ、わがままとか、意地悪とか、
高飛車とか、かわいいとか、を拡張しているだけです。
この内容は私のキャラに合わないからやりません、とかいう人もいますが
そういう夜郎自大とはレベルが根底から違うので勘違いしてはいけません。
そういうのはいずれ手ひどいしっぺ返しを食らいます。
しかしキャラクターを作る、まして飯を食うために作る、というのは
本当に難しい。
才能のある人にとってはこともなげにできる。
そういう人が血のにじむような努力をして、やっと売れる。
荒木飛呂彦先生はそんなタイプでしょう。
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